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ちほりごと@..oO○

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by chihorrin

建物の不思議

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その日はポカポカと陽光が優しく心地よい小春日和だった。
所用で上野の東京芸大まで出かけた際に、小さなシャレた建造物に出くわした。小さいがどことなく国会議事堂の中央部を思わせる風格ある建造物で、心惹かれた私は近づいて見た。
入り口はもう閉鎖されていて、かっては博物館動物園駅の出入り口だったと説明した小さなプレートが貼られていた。
ちょっと心に残ったので帰宅後、少し調べてみたら設計者は中川俊二で1933年にこの入口は開業し、老朽化により1997年に閉鎖されたそうである。   調べついでに国会議事堂についても誰が設計したものかが気になり、調べてみることにした。
すると・・・国会議事堂はなかなか不思議な経緯(いきさつ)があり、紆余曲折の果に竣工したのであった。
建築計画が始まったのは明治40年(1907年)頃で、最初に建築家として選出されたのは、官庁建築の第一人者である妻木頼黄でした。
ところが、東京駅や日本銀行本店を手掛けた建築界の大御所の辰野金吾が、国会議事堂の設計が悲願であるのだと言い出したのだ。
互いに譲らず、激しい主導権争いをしてるちに心労のために妻木は亡くなってしまった。
そこで辰野は設計を公募による懸賞コンペ形式をとったのだが、その審査の最中に今度は辰野が亡くなってしまったのだ。そこで既にコンペの一等に選ばれた宮内省技官の渡邊福三が設計した設計案に決定したのだが、またもや渡邉は選出された直後に亡くなってしまったのだ。
結局は官僚建築家たちによる合同チームが議事堂の設計を担うことになり、計画から55年経った昭和11年(1936年)に『国会議事堂』は様々な建築家の悲願を載せ、やっとのことで完成したのであった。
今日も黄昏どきに、車で国会議事堂前を通り過ぎたが、陽が沈んだばかりの空に美しく映える国会議事堂が、どこか憂いを含んで見えたのは、紆余曲折の不思議を知ってしまったからだろうか・・・。
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Photos.Chiho Harada
by chihoharada | 2016-10-29 11:12