曖昧模糊
2013年 08月 22日
人が生きていく上で道理に反していることは
間違いであって正しいことを主流にするのが正しいのである。
だが・・・何でも正しいことが全てに良いとは限らない。
たとえばそれが正しくて間違いないことであってもキッチリ主張することによって
人間関係がギクシャクして混乱状態に陥ることが多々ある。
だからグッと自分の魂の声を飲み込んで自分善がりの相手の意見にも
反論せずその場を黙ってやり過ごすだけでその場は丸く収まる。
だから価値観が違う考え方の人とは接触しなければ
一番良いのだが、そうはいかない。
特に仕事がらみになれば進む方向へより良く行けるように
多少のことは忍の一字である。
いやいや仕事ならそれはそれで納得いかなくても割り切ることもできる。
しかし運命とは複雑な糸に操られるもので自分の意志に沿わなくても
価値観の違う人間と深い関わりを持たねばならないことも起きてくる。
それを逃げることも避けることもできないとき
最も大嫌いな曖昧模糊が有力な助っ人になるのだ。
正しいのだけど主張してはならぬことが生きていく上に山積みだ。
もちろん、正しいのだからハッキリ主張すれば劉因が下がって
どんなにか精神的に清々することだろう。
しかし、それはその瞬間だけのことでその煽りの波で
押しつぶされそうなほど精神を病むことになりかねないだろう。
だから曖昧模糊は大事な緩和剤なのかもしれない。
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by chihoharada
| 2013-08-22 17:53