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by chihoharada
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ロートレックの赤いマフラー

肩をすぼめ背を丸め、顔をファーの襟巻にすっぽり埋めても、北風は容赦なくむき出しの顔を打つ。
吹き上げる風で、バラバラ乱れる髪の毛の一本一本までに、冷たさが痛く染み入る。
そうだ、こんな日はロートレックに会いに行こう。
丸の内の三菱一号館美術館では今、「ロートレックとアートになった版画ポスター展」が開催されている。
展覧会場に入ると黒のインバネスコートに、まっ赤なマフラーを巻いたロートレックの代表作、伝説の歌手アリスティード・ブリュアンを描いたポスターが迎えてくれた。
このポスターはパリのシャンゼリゼ通り沿いにある高級キャバレー、アンバサドゥールに出演が決まったブリュアンに依頼されて、ロートレックが手掛けた一枚だ。
ロートレックは由緒正しき貴族の家に生まれたが、幼い時に二度にわたる骨折によって足の成長が止まってしまった。
そのため不自由な体となり動くことが出来ず、彼に残された生きる道は、大好きだった絵を描く事だけであった。
一方、当時人気歌手のブリュアンもブルジョアの家に生まれたが、幼い頃に両親が事業に失敗し、人知れぬ不幸を背負っていた。
職を転々として不幸のどん底の末に、たどり着いたのがモンマルトルだった。
ロートレックとブリュアンが出会ったのは1885年。
ブリュアンがモンマルトで開いた酒場に偶然ロートレックは訪れ、場末の魂を歌って喝采を一身に集めるブリュアンを見て、魅了されてしまった。
ブリュアンも、まだ無名だったロートレックの作品に魅了され、2人は無二の親友となった。
それから月日が流れ、7年後には2人の友情が一枚のポスターとなり、パリの街を席巻するとは2人は思ってもいなかったことだろう。
当時絵画が主流のパリの中で印版によって何枚も印刷されるポスターは、日本の庶民の楽しみであった広重や国芳、國貞が下町を愛し描いた浮世絵と同じで芸術とは見なされていなかった。
ロートレックは19世紀末のパリの歓楽街モンマルトルを最も愛し、軽んじられてたポスターを芸術の域にまで到達させたのだ。
ブリュアンが首に巻く色鮮やかな赤いマフラーは、寒風の中で冷えきった身体をぬくぬくと暖かく包んでくれた。

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by chihoharada | 2017-12-18 14:15 | Comments(0)